【感性を殺すな!】僕が“オススメ”を好まない、たった一つの理由

自己啓発
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ここ最近僕のブームである「感性」「センス」「アート」の概念について、立て続けにお話ししてきました▼

今日の記事も関連し、僕がなぜ一括にオススメというのを好まないかについてお話しします。

連続でアートやセンスについて解説ししつこくて申し訳ないですが、今自分の中でキテいるからこそ深彫りしてこの機会で徹底的に“ブーム内悟り”を目指すこともいいかなと感じ、一緒に『言語化できないアイデンティティ』について考えていければなと思います!

オススメは○○○○を持たない

感性を無視した”オススメ”

僕は正直一括して『オススメ』に頼ったり、逆に『オススメ』を聞かれることをあまり好みません。

〈めっちゃ面倒くさいやつ〉と思われるかもしれませんが、その理由はいたってシンプルです。

メンターを持たないから。

これはどういう意味かというと、例えば僕は結構映画鑑賞・読書・音楽鑑賞をするので周りから「オススメの映画・本・音楽とか教えて!」と聞かれることがよくあるんですよね。
逆に僕の感性に即することなく一方的に「これ試してみて!」とオススメをされたりすることもあります。

僕は別にそれを怠いと思ったり嫌悪感を抱いたりすることは全くないのですが、この『一括されたオススメ』がなぜ盲点かというと、その人の好みや感性も分からずランダムにオススメできるわけがないからです。

その人がヒューマンドラマが好きなのかサスペンスが好きなのか、もっと細かいことを言えばマーティン・スコセッシ監督のようなひやひやする展開とエッジのきいたタッチが好みなのか、その好みの感性を知ることができればそれに合った“オススメ”ができるわけです。

その人の感性を知らない時に使う、僕のオススメの方法

勿論「そういうのが分からないからオススメを聞いているんだよ~」と思われる方もいるかもしれません。

僕はその場合、どういう風に答えるかというと“感性のタッチ”にそれぞれ関連した作品などを紹介します。

ヒューマンドラマ映画のケースでいうと、「特に大きなハプニングは起きないけど普遍的な生活を細かく描写する温かく穏やかなのが良いなら『パターソン』かな、ぎこちないけどお互いの嫌いなところをぶつけ合って認め合っていく、その歯車が徐々に合っていく熱い恋を感じたいなら『世界にひとつのプレイブック』オススメだよ」といった感じですかね。

※ちなみにのちなみになんですが、ここで紹介した二作品の予告掲載しときます(笑)▼

【感性を探せ!】僕のオススメ方法が面倒くさい理由

もっと細かく“僕なりのオススメ”をするのですが、正直面倒くさいと思いましたよね(笑)?

でもそうなんです、オススメって実は面倒くさいし、だからこそ自分の感性って言語化しにくく模索し見つけるのに時間がかかる面倒くさいものだと感じます。
逆に言えば、だからこそ自分の感性と真摯に向き合うから『自分だけの味』が出る。

この記事でも“オススメ”をするときは、「本質を知り、シンプリストになるからこそ自分の楽しさに焦点を合わせることができる学びに触れるために『エッセンシャル思考』をご紹介」といった感じで、目的に合わせて的確に作品を紹介します。

そして感性もその一環で、「こういう感情の時、こういうロケーションの時にこの曲」みたいな感じで、その人が【己がどういう感性を持っているか】に焦点を当てて作品を紹介・共有することに意義と本質があるのです。

だからこそ一貫してオススメに”すがる”のは、強く申しますと自分の感性と向き合うことから逃げているに他ならないのです。

勿論、雑談でオススメを聞いたり色んな人の好みを知ることで価値観の多様性を知るのは重要ですし僕自身もしますが、感性を研ぎ澄ますために行う“オススメ”リサーチとは別で儲けています。

自分だけのメンターを持ち、【感性コミュニティ】をつくる

社会資本を通じて、人的資本を伸ばせる”自分だけの”最強の場

【オススメを聞くことはメンターを持たないこと】と断言しましたが、逆に言うと「あ、俺このジャンルではこういうセンス好きだな」「あれ、この人俺と同じに土俵にいて合う気がするから“オススメ”聞いてみよう」とアンテナにセンサーがかかると社会・人的資本の双方にも強みが出ると感じます。

僕自身、各土俵に“勝手に”メンターを持っています

前回の記事ではこうじろう君が“生き方”のメンターであることをお話ししましたが、そんな感じで

「ヒューマンドラマ映画最近観ていないな、えみりに最近面白かったインディーズ聞いてみよう」
「ジーオー(大学のアメリカ人友達)とかたつやが最近聴いているメローな洋楽ラップ何かな?」
「R-Kellyみたいな90年代後半-00年代前半のセクシーなR&Bアーティストいないか、ともせに聞こう」
「とうま、最近どんなアウトドアアクティビティしているかな」
「お袋が最近読んだビジネス書、どんなんだろうな」
「かーいーとかゆうさくが最近推している芸人って誰だろう」

といった感じで、各ジャンルに「お、この人土俵合うな」と一緒にいて大体感性の一致をつかめてきたら強いですよね。

その【メンターコミュニティ】を何となく自分の中で設け、「あ、今情報足りていないな」「映画久しぶりに観たいけど、今日は外したくないな」といったときにメンターに聞くと、自分の価値観の再確認と向上と同時に、楽しみを外すこともありません

【具体例あり】センスが合う人を探す方法

舌の好みが似ているかどうかも重要で、例えば一般的にグルメ王とされているアンジャッシュ渡部さんですが、彼がオススメしているからと言って必ず僕に合うわけではないと思います。
テレビで拝見していて、「俺結構この系統合わないかも。お肉は俺やっぱ霜降り苦手でガツンと赤みが良いな」みたいな感じで自分の感性を理解しているからこそ、統合され価値観確認作業の割愛されたオススメ、いわば世間の物差しに左右されることはありません

お袋が初対面の方と話すときにやる感性を知るコツがあるらしく、これ結構僕好きなのですが、「好きな沖縄そば屋さん」を尋ねるそうです。
沖縄県民の方はご存じだと思うのですが、結構沖縄そばってお店によって味が変わるんですよね―出汁の薄さ・濃さ細麺・太麺ジューシーの味付け、載せている具材のチョイスや量
それでお袋は「この人この沖縄そば屋さんが好きなんだ、一緒じゃん、料理の面においてはセンス合うかも」みたいな感じで探っていくらしいです(笑)。

ちなみに僕の大好きな沖縄そば屋さんは那覇市・久茂地にある『琉球茶房 すーる』さんです。
普段食事の写真を撮らないので撮影めちゃくちゃ下手くそですが、ベスト・オブ・シンプルで奥深い最高の味付けです!

また以前紹介した親友のゆうさく君も、他人のお家にお邪魔したらすぐさま本棚に目を向け「この人こういうのが好きなんだ。こういう考え方を持った人なのかな」といった書籍を通じての感性リサーチをするそうです。

でも僕すごくこれ共感できて、メンターを設けて自分の価値観や感性を磨きながら、情報があふれているからこそ的確な情報収集、いわば本質的なコミュニティを設けるのは素晴らしいことだと感じます。

まとめ:善し悪し・優劣・拒絶のない平和なメンターづくり

そして日本社会で本当に問題視されているのは、このセンスに対して好き嫌いの問題を、善し悪しや優劣をつけたり、センスが合わない=拒絶していると認識してしまう、誤った強制翻訳があることです。

価値観なんて多様なんだから、自分らしく、その人らしくでいいじゃないか―。

僕が結構腹が立ったことがあって、ある知人が「(沖縄県出身ラッパーの)唾奇が無名だった頃俺結構聴いてたんだけど、今ではメジャーになってしまったから唾奇聴くのダサいんだよね」と言ってきたんですよね。

その人なりに“マイナー”を聴くのが独占欲的な自分の価値観なのかもしれませんが、なんか自分が信じた感性を捨て、周りを物差しで測り、好みを素直に開放せずあるいは他人の価値観を見下していることがどうしても許せず、「その考え方がダサいわ」と言い返してしまったことがあります。

勿論上記で軽く名前を挙げたメンターのお友達にオススメを絞っているわけでもないし、気軽に最近流行っていることやマイブームを色んな人に聞くのは大好きです。

事実、書籍の好みが合わないなと思っていた人のオススメを読んでみたら意外と面白かったりなんてこともよくあって、知らなかった世界観と出会うことはめちゃくちゃ面白いことです。

だからこそここで改めて強調したいことが『物差しや基準で縛る必要はない』ということです。
これは僕がオススメを好まない理由とも一貫しています。

引用元:https://www.askideas.com/25-incredible-hawaiian-tattoos/

アートの面に着目して言うと、逆にもっと自己を表現できる寛容な社会になっていけばいいなとも願っています。
僕自身の例でいうと、島人としてリスペクトや自己表現を込めて、紅型の模様やトライバルタトゥーのデザインなどの刺青を体に刻みたいなと思っているのですが、その反面日本の現状だとやはり嫌悪感を示されたり施設の利用・入場に制限がかかったりと、アートの表現に伴う犠牲が出てしまいます。

引用元:https://tattoohorimoto.tumblr.com/post/627587010110046208/%E5%88%BA%E9%9D%92-%E3%82%BF%E3%83%88%E3%82%A5%E3%83%BC-tattoo-%E7%AB%8B%E5%B7%9D-%E7%AB%8B%E5%B7%9D%E3%82%BF%E3%83%88%E3%82%A5%E3%83%BC-%E3%82%BF%E3%83%88%E3%82%A5%E3%83%BC%E7%AB%8B%E5%B7%9D-%E7%AB%8B%E5%B7%9D%E5%88%BA%E9%9D%92-%E7%AB%8B%E5%B7%9D%E5%BD%AB%E5%B8%AB

僕にとってタトゥーとは何か、その表現を僕の怪我に例えて解説した記事でも強調したように、ボディーアートというのはアイデンティティ誇示の一つだと思っていて、その認識がよりリスペクトされたらな~なんて感じます。

確かに歴史上・文化上の理由でそういう社会が出来上がったことやパラダイムシフトがなかなか起こらないことは承知の上ですが、やはり自分が良いと思ったアート表現やセンス自体にNOと言われることに、肩身の狭い思いをします。

”世間論”で完成を殺されないために、というメッセージを強調したあまり少し話がそれましたので、まとめとして改めて申し上げます▼
「自分の感性をまず知り、土俵を見極めメンターを見つけ、コミュニティを形成しながら多様な価値観にも触れよう!」

センス、大切です。

記事を読んでくださり、にふぇーでーびる!
またやーさい!

大空にも東も西もないように、あなたの心も内側と外側で境界を設けてはいけません。

―“さとり人”代表・お釈迦様より

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