【当たり前って何?】「昔からそうだから」で片付ける伝統と、その違和感

社会問題
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今回の記事は少しナイーブなトピックですが、「昔からだから」のみの根拠で片づける伝統について以前から違和感を抱いているので、その心のうちを明かします。

※尚、今回の記事は特定の遺族や行事を否定するのではなく、論理的に考慮せずにひたすらに「昔からこうだから」の一点を突き付けられて苦しめられるマイノリティの立場や倫理の欠如による思考停止を免れるために、一つの意見として発したものです。

今回の記事では僕なりになぜ伝統という概念そのものに肯定しづらいか、その背景にあるたった一つの違和感に注目しながら解説いたします。

「昔からそうだから」は外的ファクターへの拒絶にすぎない

沖縄の歴史は深く、ご先祖様の犠牲や遺産などの破壊から学ぶ歴史や教訓がたくさん潜んでいるのは事実です。
沖縄戦で心底痛感した悲惨さは、決して忘れてはいけないものです。

だからこそ僕たち世代も常にその意識を保ちながら、アイデンティティをアップデートしていかなければならないと感じております。

そこで僕が使ったこのボキャブラリー…『アップデート』

僕はアイデンティティを確立し誇示するために、必ずしも「古き良き」が根付いているから成り立っているとは感じません。
それも特にその「古き良き」に根拠や理由がない場合。

ではなぜ単に『“オールド・スクール”であり続ければいい論』に賛同しないかというと、それは【外的ファクターとは無視している、あるいは拒んでいるから】です。

コンサルティングでは欠かせない『外的ファクター』のスキャニング

少し話が変わりますが、もうすぐ卒業間近の大学生キャリアでありますが、その中でも有意義であり最も楽しんだ授業の一つが『企業戦略』でした。

この授業では毎週ハーバード・ビジネス・パブリッシングの中からビジネスケースをピックアップし、約10ページの論文に要約してそのケースの中で発見した企業の課題からソリューション案まで自ら構築し発表する授業でした。

いわゆるコンサルティング事業に近い形ですね。

※もしこの授業について興味のある方はこのリンクをクリックし、是非一例としてスターバックスの経営を分析した論文を読んでみてください!

そこでそもそも課題を発見するために、このプロセスではマクロ経済を理解し、ファイブフォース分析などを駆使しながら全体像の把握とマーケット状況の再確認をする、いわば俯瞰的な『鳥の目』が試されます。

このステップでよく僕たちが教授に教えてもらったのは

「外的ファクターをまずは飲み込む必要がある。必ずしもそのトレンドに乗らなくてはいいが、乗らない理由と軸をしっかり持った上でその流れを“見続ける”必要性がなくなるわけではない」

ということでした。

これはどういうことかというと、例えばプログラミングというスキルというトレンドが流行しているからといって、必ずしもプログラマーになってその需要に応える必要はないがプログラミングが流行っている要因やなぜプログラミング業界から身を引くかということを把握しなければならないということです。

僕も以前、2021年初投稿の記事で前年度の振り返りを兼ねた一年を通じての心構えについて綴った記事で、外的ファクターをいかに自分なりにチャンスとして捉えるマインドセットが大事であるかについてお話ししました▼

ぶっちゃけた話、このブログも僕の意見を発するのも大事ですが、この運営を支えてくれる読者の方々とそのニーズからあるからこそ成り立つものです。
だからこそ、その期待がまず何なのか、そしてどのように応えられるのかを分析・可視化・解決しなければ、このサイトは存在しないようなものです。

自分のスタイルを変えるということではなく自分のスタイルを最大限に発揮し続けるために存在感を示せるような形態と、自分にはどうしようもできない需要、いわばニーズを受容(韻踏んじゃいました…笑)し尊敬していくからこそ価値が生まれるわけです。

生命体の進化をたどれば文句ひとつありません—生き続けている動物は時代や環境に合わせて進化しているからこそ、言うまでもなく生き続けているわけです。

そこで話を戻しますが、この【伝統】という概念はそのニーズを無視し、無論強引に生き続けている生命体のような気がしてどうも違和感を覚えてしまいます

歌舞伎業界の“アポなし”しきたり

とあるバラエティ番組である歌舞伎役者さんがご出演していた時に“ぶっちゃけ”ていた話なのですが、歌舞伎役者の方は襲名披露の際に、アポイントメントを取らずにお世話になった方々へ挨拶回りをするそうです。

勿論アポイントメントを取らないので、留守だった場合はしっかり披露できるまで何度もその方のご自宅を訪問されるそうです。

僕はその“アポなし訪問”の実態が気になって仕方なく調べていたのですが、
「目上の人に○○日の○○時に訪問していいか聞くのは失礼だから」
「それが歌舞伎のしきたりだから」
という理由しか出てこず、イマイチその『伝統の不便さ』にピンときませんでした。

その伝統がないと、襲名のありがたみを重々感じることができず、さらに将来迎えるであろう苦労に耐えきれる忍耐が付かない、という背景があるそうです。

しかし、果たしてそうでしょうか?

僕はむしろそういう伝統がないと感謝の気持ちや耐久力が身につかない役者さんは、そもそもそのステージまで這い上がってこれない気がしますし、人間性が欠如していたら初めから襲名されていないと思います。
逆にこのしきたりがあるからと言って、必ずしも天狗にならず謙虚で人間力のある役者さんになれるわけではないと感じます。

ハッキリ言うと、このしきたりはその人のアイデンティティに直結しない、ただの“神話”にすぎないと思います。

まとめ:伝統の基盤を尊重したうえでのアップデート

情報がより流通し、様々な価値観が生まれ共有できる時代になったからこそ、やはり時代に合わせてトレンドや大まかなマーケット・全体像の流れが変化するのは言うまでもありません。

昔に比べ栄養や食事管理についての研究が発達し、さらには食事を個人的な観点だけでなく、気象変動との関係性を含めよりマクロな視点で多面的に実態を調べられるようになり、ヴィーガンという新たな食習慣の在り方が誕生し流行しているのも一つの例です。

こういったように、やはり外的ファクターを“食わず嫌い”で拒むのはやはり価値観の拒絶にすぎず、僕からすれば差別問題の根本的な原因と類似しているような気もします。

だからこそ昔からある伝統の基盤を、まずは再確認する必要があり、なぜそれが歴史的に尊重され続けているのかを理解したうえで敬う必要はもちろんあると思います。
ただそれ以上に、その伝統も外的ファクターを“きっかけ”として取り入れたうえで『アップデート』する必要もあると思います。

沖縄県が誇るスーパースター・Gackt氏のアップデートについての明言を引用いたします:

美味しいワインを飲むから美味しいワインが分かるのではなく、ワインを飲むときに、これはどんなワインなのか、いつできたのか、どんな風に作られたのか…
と知識として体の中に入れていく行為があるから覚えるわけであって。

飲んでいるだけで分かるようになったら天才じゃないですか。

そういう意味では、肉やワインの部分では、勉強しているではなく、アップデートはしています。

GACKT氏

伝統を生き続けさせ、根強くさせるためにもより価値観や周囲の情報を認知したうえで、アップデートは必要ですね。

日本人はもともと「法律がYESかNOかを定めるから、それに従うべき」マインドセットが根強く、原因や要素を考えず思考停止になりその背景やロジックを考えない傾向があるそうです▼

次回の記事では僕の故郷・沖縄に潜む伝統行事により焦点を当て、具体例を交えながら改めて伝統の盲点である〈思考停止〉についてお話ししたいと思います。

記事を読んでくださり、にふぇーでーびる!
またやーさい!

大空にも東も西もないように、あなたの心も内側と外側で境界を設けてはいけません。

―“さとり人”代表・お釈迦様より

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