【沖縄戦を知る事典】僕たち沖縄人が「平和」を訴え続ける理由

社会問題
スポンサーリンク




ハイサイ、さとり世代の仲間たち!
ハイサイ、さとり世代を応援してくださっている皆さん!

今回の記事では僕たち沖縄人がなぜ「平和」について訴え続けるか、その理由と背景を解説いたします。

断言します。

いかなる場合でも、権力争いというしょうもない要素であれ、「経済活動」という言い訳であれ(ほかに経済まわす方法沢山あります)、戦争は起こしてはいけません。

ごめんなさい、戦争を起こしてはいけない理由について多様な意見をお聞きしたいのですが、僕の結論そのものに対する反論は一切受け付け致しません。
大々的な平和活動も賛成ですが、少なからず僕は沖縄人として何を知っているかについてこのブログに記すことに意義があると感じています。

センシティブなお話ですが、どうぞお付き合いください。

【沖縄戦】平和を強調するきっかけと概要

引用元:http://www.okinawainfo.net/kaigun.html

まずは平和についてより詳しく知っていただくために、沖縄戦について解説いたします。

那覇市の公式ホームページで掲載されているものを引用させていただきました:

沖縄戦は1945年の3月下旬から8月までの戦いをいう。

1944年10月10日、沖縄戦の前哨戦 として10.10空襲があった。
この空襲で旧那覇市街の90%が焼失する。
旧那覇市内の養蚕試験場にあった司令部も焼け 、首里城の地下に司令部壕が掘られる事になる。
その壕を掘ったのが学徒達であった。

日本兵の死者は1日あたり千人以上にもなる、太平洋戦争もっとも激しい戦いといわれるゆえんである。

那覇市・公式ホームページ

そして何より悲惨なのが、この戦争で多くの住民が亡くなった事でした。
沖縄県民の死者数は、日本兵や米国兵よりも遥かに多く出てしまいました:

戦死者は一般住民約9万4000人、旧日本軍9万4136人、米軍1万2520人、計約20万人が犠牲になったとされる。

ただ沖縄県民の死者については、当時の人口の4分の1に当たる15万人とする推計もあり、正確な数字は不明だ。

栗原 俊雄

もともとは琉球大国だった沖縄県が、中国を辿り、日本になり、そしてそのまま戦地として多くの方々や土地などを犠牲にしてしまいました。

今日で言うと日本全体の米軍施設の約70%が沖縄に集中し、沖縄の領土の15%を基地で占めています。

されるがままの沖縄…

だからこそ僕らに出来ることは、ご先祖様が経験なさったその悲劇を知り、同じ思いをしないよう少しでも僕らがどういう形であれGiveする(与える)ことに意義があります。

『沖縄戦を知る事典』で明らかにされた、衝撃の悲劇

吉浜忍氏、林博史氏、吉川由紀氏・著書『沖縄戦を知る事典』を読み、僕はより深く沖縄戦について知ることができ、改めて沖縄人として平和を訴え続けることに使命があると気づきました。

今こうして記事を書いている間にも、沸々と湧き上げってくる哀しさと悔しさの感情で、遺憾な気持ちでいっぱいです。

生き延びた人も【犠牲】になってしまうのが戦争

引用元:https://note.com/bouheitai1958/n/nc1dbf0015aca

というのも上記に記載した多くの犠牲者が数字として示されていますが、この本はその数字以外にも多くのダメージが沖縄戦の時にあったことを綴ってくれています。

  • 「米兵に殺されるのは恥だ」と洗脳して米軍に攻撃される前に住民皆で命を絶った集団自決
  • 不衛生な環境で生まれてしまう感染症
  • 色々な国で過ごす沖縄人が被った強制収容所での隔離と差別
  • 障害を持った方々への不当な扱い

これはまだ序の口です。

戦争で起きていることは、勿論犠牲者数や負傷者数などの数字で読み取れる胸の痛さがありますが、生々しくとてもやるせないことばかりでした。

住民の思考を停止させ、おもちゃのように扱い、全てを奪ったその社会そのものが一番の恐怖だと僕は感じました。

【重要】沖縄人が声を上げないとどうなるのか

沖縄人がなぜ声をあげる必要があるのか…

それは僕たちが歴史的に直接かかわっているからこそ分かる犠牲や危険を知っているからです。

人間が、考える葦でなくなり、人間でなくなることを知っているからです。

でも今日に至り、反省の見られない“とてつもなく罪深い”、平和と相反する行為が行われているのも事実です。

今でも続く沖縄への不当な扱い、そして生まれた使命

『沖縄戦を知る事典』で取り上げられていた例には、衝撃的なものがありました:

沖縄には最大で1300発の核兵器が配備されていたこと、1959年には核弾頭を搭載した可能性があるミサイルが誤発射されたことなどが、2017年9月10日放送のNHKスペシャル「沖縄と核」で報じられた。

1960年県内8か所にホークミサイル基地、同年県内4か所にメースBミサイル基地と建設が続いた。

メースBをのぞき基地建設は新規接収によって行われ、これらのミサイル基地への核弾頭配備を補ったのは辺野古弾薬庫であるといわれている。

『沖縄戦を知る事典』
引用元:https://www.jcp.or.jp/akahata/aik18/2018-12-20/2018122001_02_1.html

僕が抱いた感情はとても複雑で、

  • 「ご先祖様、僕らが知らない間にこうなってしまい責任を果たせずごめんなさい」という懺悔に近い感情
  • 「なぜ沖縄という地で歴史もあるのに、平和を目指さないのだろう」という困惑

がありました。
そして何より、

  • 「その核爆弾を作っている中、今その地下には戦争で亡くなった多くのご先祖様の身体があるんだぞ!その方々の上で何やっているんだ!」という遺恨とうか憤りというか…とても悔しく惨めな気持ち

になりました。

だからこそ僕の中でとても強い使命が生まれました。

俺は沖縄人として平和を守り続ける。
それが俺の生涯を通して貫くべきアイデンティティの一つなのだ。

次回予告:声をあげ続ける為には

僕のアイデンティティそのものにあたる重要なテーマなので、前編・後編と細かく分けてお伝えしていきます。

次回の後編では、僕たち沖縄人、そして世界がBlack Lives Matter運動から学べること、その考えをどう応用できるか、そして僕が感じる使命とその活動についてお話しします。

沖縄人だけでなく、沖縄戦を紐解いて今日の生活とリンクさせることには多くの方にプラスになり、もう一度“自分の”平和論について考えられるきっかけになると思います。

そしてもう一度言わせてください、戦争はいかなる場合でもダメです。

犠牲は多岐にわたり影響が及び、戦争後にも強くダメージを負うことになります。
今回は背景と経緯を簡潔にまとめるのが目的でした。
その奥を、僕のさらなる想いと覚悟を、次回の記事でもう少しだけ綴らせてください。

記事を読んでくださり、にふぇーでーびる!
またやーさい!

大空にも東も西もないように、あなたの心も内側と外側で境界を設けてはいけません。

―“さとり人”代表・お釈迦様より

コメント

タイトルとURLをコピーしました