【実例!】アップデートされない伝統行事に感じる違和感

社会問題
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前回の記事では「昔からそうだから」で片づけられる伝統行事の違和感に対し、なぜ個人的に違うのではないかという見解を示しまた▼

今回の記事では前回に引き続き、その思考停止とアップデートの欠如に基づいたテーマで、僕が故郷・沖縄で行っている伝統行事について、批判的な意見ではなく、単に「なんでだろう?」という感じでお話ししたいと思います。

単にそうだから、従えばいいんじゃない?
—ひねくれた性格だからなのか、僕はこういう考え方があまり好きではないんですよね…

なので今回は少しだけ掘りながら改めて伝統行事について考え直せる機会になればと思っております。

沖縄の伝統行事①:女性の家事

女性陣が食事の準備をしている間、男性陣は…

僕はいくつか疑問に感じる沖縄の伝統行事があるんですよね。

例えば『女性の家事』

引用元:http://okinawaspirits.com/okinawaofferingforgrave0406/

祖母の家に集って祝日を祝う際、必ず家事は女性がするんですよね。
僕の母、叔母、女性の従兄弟が料理や食事の準備をしている間、僕含む男性陣は食卓に着いて団らんしているんですよね。

正直、幼いころはまだ小さいこともあってそれを「当たり前」として飲み込んでいたのですが、成長するにつれて徐々に違和感を感じ、食事を手伝おうとしたことがあるんですよね。
すると「いいから、座ってゆっくりしなさい」と促されたことがあるんです。

それも、家のリーダーであり(祖父が亡くなったため)、女性である祖母を筆頭に。
食事のお代わりをするときも、必ず叔母であったり女性陣が「何欲しい?入れてくるよ」と手伝ってくれようとするんですよね。

幸い、僕たちの家族は比較的“若い”からか、最近は僕含む男性従兄弟陣も食卓の準備を手伝ったり、僕の親父も“昔からの伝統”にNOと直接祖母に言ったりしています。

ただそれでも、僕のお袋や叔母たちはせっかくの休みである祝日に朝から“拘束”され、祖母の家に訪問するお客さんをおもてなししたり夕食の準備をしたりしています。

時には前日からずっとお手伝いをしています。

「女性だから」「昔からそうだから」—僕は伝統そのものを敬うというより、その基盤である価値観と文化を理解したうえで、その歴史を尊重しアップデートできたらなという想いでいっぱいです。

なんせ以前僕が女性問題にメスを入れるならば、“主婦業”という概念とそもそもの主婦という言葉はいかがなものかという点に着眼するべき、と述べたことがあります▼

当たり前の思考停止において、家事以外に価値を当てている女性に対して料理や家事などのために祝日に“拘束”するのは、このご時世でいうハラスメント、僕からすれば個性の撲滅に近いニュアンスに感じてしまいます。

少子高齢化、婚姻率減少の根本?

さらに残念に感じてしまうケースは、この祝日イベント時に女性を拘束することを当然と常識化してしまうことによって、結婚にためらいを起こしてしまうことです。

引用元:https://news.yahoo.co.jp/byline/fuwaraizo/20190902-00139622/

僕の女性従兄弟は高校生・大学生になるにつれ「いずれお嫁に行くのだから、そろそろ家事を手伝いなさい」的なことを告げられ、祝日に家事を手伝い”拘束”され、それを常識化することで彼女の中で“伝統”になってしまいました。

少子高齢化という背景の中で、そもそも〈嫁に行く〉〈嫁においで的な風潮が、何か女性の結婚に対する後ろめたさや犠牲を生むような感じがして正直寂しさすら覚えますし、家事などの常識化で個性を殺してしまうのが残念に思います。

僕の友人のお姉さんも先日結婚したのですが、「何か“家を離れる”、“自分を捨てる”気がして寂しい」とおっしゃっていたそうです。

結果として、僕らに根付いている伝統行事がそれらの常識化をある種の価値観として置いてしまうことによって、個性を犠牲にしてしまう状態が自由を奪ってしまっている気がして億劫になってしまいます。

僕なりの提案なんですが、例えばこれらの女性の家事を常識化させるのを回避するためにも、各祝日に担当家族を決めて交代制で家事を仕切るというのもありなのではないかとおもんですよね。
「お盆は○○家よろしくね、シーミーはうちらの家族がやるから」みたいな…

沖縄の伝統行事②:ウチカビ

これは少し番外編に近いかもしれませんが、“理由のない”伝統という点において疑問に思うもう一つの点が『ウチカビ』という行いです。
ウチカビとは後世で使用される通貨のことで、お盆などの行事の際にウチカビを焼いてあの世に“送金”するのです。

引用元:https://okinawaclip.com/ja/detail/35

ここでウチカビに対する僕の大きな疑問は「だとすればあの世のお金、いわゆる資本というのは社会資本に頼るしかないのか?」ということです。

これはどういうことかというと、まず資本を人的・社会・金融の3つに分別した際に、仮にあの世でお金を手に入れるとなった場合、伝統行事の際に“人間から送金される”ウチカビというお金に頼る、つまり社会資本であるネットワークによって助けられるお金しか得られることができないということです。

となった場合、僕がどうしても拭えない疑問は「あの世では自分のスキルを向上する人的資本や貯蓄・投資による金融資本など、矢を増やすことで獲得できる収入フローの安定化はないのか?人に頼るだけの人生って楽しいか?」ということです。

だから、申し訳ございませんが、僕はどうしてもウチカビを自分に腑に落とすことができません。

調べてもその起源は曖昧ですし、実際周囲もあまりウチカビを知っているわけではありません。

なので、これも申し訳ございませんが、起源や理由のよくわからない伝統に対し、あるいは自分の思う価値にそぐわない伝統に対し、その伝統行事に費やす時間やお金がどうしても“拘束”に感じてしまい、勿体ないなと思ってしまうのです。

勿論、ご先祖様には日ごろから感謝しているのでお礼を言う時間やお金に対しての批判ではないので、僕なりに感じる価値や〈僕がご先祖様だったらこうしたいな〉という信念に沿って、伝統行事に貢献するということになります。

引用元:https://happychichiarin.ti-da.net/e11674468.html

例えば、僕だったら

「最近、そっちの世界ではどんなものが流行っているんだい?君最近どんなもの食べているんだい?」

となると思うので、

「これめっちゃ好きなんです!
飲んでみてください…僕の大好きなクラフトビールっちゅうものです!
しかも僕ら沖縄の誇るオリオンビールさん、75ビールって言って、超クオリティの高いクラフトビールをリーズナブルな値段で提供してるんですよ!」

という感じでクラフトビールなどお供えすると思います(笑)。
僕だったら、そうしてほしいなあ…(笑)

まとめ:身の回りの【当然】に価値をゆだねるな!

少し話がそれてしまいそうになりましたが、二記事にわたってなぜ長々と伝統についてお話しさせてもらったかというと、価値観の多様性が重視されている時代、自分の価値を認知し保持する大切さ、そしてそれに伴う「当然」や「伝統」による思考停止の危険性について改めて述べたいと感じたからです。

引用元:https://news.yahoo.co.jp/articles/18e6b7e1f451366ff048aafca685d0f23f100cf7

最近、ドラゴン桜2が始まりましたね!
僕も熱中して鑑賞しているのですが、第一話で早速阿部寛氏演じる桜木から名言が出ましたね(ネタバレ注意!)

勉強も学校生活もみんな中途半端。

一日中やれスマホだゲームだ、毎日なんとなくボケーっとした日々を送ってやがる。
バカばっかりだ。

バカなだけならまだいい。
無関心、無気力、甘ったれ、根性なし。

人間気取ってるくせに、自分の頭で考えようとしないお前らなど、東大の方からお断りだ!

桜木健二・『ドラゴン桜2』より

お前、こいつらを変えたいとか言ってたな。
だがそれは間違いだ。

糞みたいな人生を変えられるのは自分しかいない
こいつらが自分で目を覚ますしかないんだよ。

桜木健二・『ドラゴン桜2』より

ドラマで放たれたこの強烈な言葉が今回の記事とどう直結されてるかというと、「Why?」などの主体性や根本に伴って論理だてて自分と向き合い、あるいは自分という軸で周囲に対してアンテナを張るというところだと感じます。

今回は『伝統』というテーマに基づいてお話ししましたが、どの場面においても流されることなく自分を持つことは大事ですよね!

記事を読んでくださり、にふぇーでーびる!
またやーさい!

大空にも東も西もないように、あなたの心も内側と外側で境界を設けてはいけません。

―“さとり人”代表・お釈迦様より

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