【アッサンブラージュ】“芸術家”になって分かった『遊び場の心得』

自己啓発
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このブログのインスタグラムアカウントをフォローして下さっている読者の方はもう既にご覧になられたかと思いますが、まずはこちらの写真をご鑑賞ください:

本当はこのまま記事を終えてもいいと思いますが「なんのこっちゃと」って感じですよね…(笑)。
少しこの写真に写っている作品について、そして『アート・芸術』の概念についてある書籍を引用し僕の“芸術家”としての体験を交えながら解説いたします。

そもそも僕が〈なぜ記事をここで終えていいか〉と記載したのも実は理由があって、上の写真を見て読者の皆さんの思考に介入したくなく、それぞれ皆さんが自由気ままに感じ取ってほしいな~と思ったからです。
そうです、想像や思考は無限大で、その能力を自由気ままに発揮し楽しんでください

「アートって難しそう」
「この作品、何が伝えたいのかが分からない」
そう感じる方もいらっしゃると思うので、是非この記事を機会にアートを楽しんでください!

アートを知ることって、ビジネス面はもちろん、自分自身のアイデンティティを形成するのにもめちゃくちゃ応用できますよ!

アッサンブラージュ作品を通じた『僕らしさの表現』

【誰でもできる!】そもそもアッサンブラージュとは?

序文で掲載した写真、改めてここで載せます:

この作品、実は僕が作った作品です。

この作品はアッサンブラージュといって、彫物などの芸術作品の一種です。
もっと詳しく説明すると:

寄せ集め」「組み(継ぎ)合わせること」を意味する仏語。
雑多な日用品や工業生産品、廃物などを寄せ集める手法、あるいはその作品のこと。

しばしば廃品を素材に用いるためジャンク・アートと一部重なるが、日常を取り巻く社会環境を素材の直接的な呈示によって作品に反映させるアサンブラージュの適用範囲はより広い。

アッサンブラージュとも呼ばれる。

アートスケープ

現在大学の授業で彫物の授業を履修していて、そのプロジェクトの一環でアッサンブラージュに挑戦しました。
なので今後この授業を通じて(勿論授業外でもアートに取り組む機会があればその際にも是非)僕のアート作品ができたらこのブログを通じてどんどん“展示”しようかな、なんて思ってます(笑)。

さて皆さん、僕の作品をご覧になられてどのように感じましたか?

「スパイクがもったいない」
「この木って、なんていう木なんだろう」
「なんで靴紐が木を縛っているんだろう」
「なんで右足なのかな?」

イイですね!
どんどんご自由に疑問や感想を巡らせ、自分の思考で遊んでみてください!

芸術家、というより『表現者』としての僕からのメッセージ

ここまでは受け手の感じ方。
上手い下手、善し悪しなどの序列や優劣さえ作らなければ、どんなコメントでも自分の好き嫌いでも全然その感性をリスペクト致します!

そうです、アートってただの自由場で、その中で好きな遊具やゲーム、はたまたボーっとするなどの好きな過ごし方で【空間を楽しんでください】

では僕がこの作品の<表現者>として、どういう想いがあったか少しお話しいたします。

僕の「大学サッカーとアイデンティティ」についての記事をご覧になった方はご存知かと思いますが、実は僕大学1年生の時に大学サッカーで大怪我をしてしまいました。

この作品のタイトルは『トラジディ、そしてアイデンティティ』
ちょっと韻を踏もうと思ったのですが、どうですかね、イマイチか…(笑)。

韻はさておき、トラジディというのは“悲劇”という意味です。
そしてアイデンティティという言葉、このブログで何回も使っていますが、今更ながら日本語で説明すると“個性”という意味に近いですね(もっと奥深い言葉のですが、難しいですね)

僕が怪我をしたのは右足、だからこの右足のスパイクに突起物を刺しました
本来なら大怪我を表すために手術道具を刺そうと思ったのですが、身の回りになかったのもあり、そしてこの怪我で感じた痛みは手術や怪我自体ではなく、周りの期待の損失や自分の自信の乱れ、他人への八つ当たりなどの【根っこの痛み】を全体的に表現するため、色んな突起物を刺すことにしました。

その痛みと怪我は2年半に及び、今でも怪我と隣り合わせでメンテナンスを行っている中で、僕はフィジカル面だけではなくメンタル面でもいつサッカー人生を折れてもおかしくない状況を表しました

その中でサッカー選手としてだけでなく、僕の人としてのアイデンティティが形成され、「よりタフになったんだぞ」という怪我がむしろ肥料となり根っことなっている状態を表したく、木をスパイクから生やしたような表現を取り入れました。

なぜスパイクの紐が木を締め付けているかというと、事実、僕の怪我がディスアドバンテージとなり、はたまた「怪我したし仕方ないよな」と言い訳に使っている、いわば今でも怪我の経験がネガティブな感情となり自分を閉じ込めようとしている状況を素直に表現しました。
逆に、「それでもここまで生えてきたんだぞ、関係ねえよ」という意味でも基部の太く立派な『木』を生やすことで、その想いを表現できたかなと思います。

これこそが、僕がアッサンブラージュで表現できる、“芸術家”としての作品かなと思います。

僕の経緯を知らない方がこの作品をご覧になって僕の意図したことと別の感情を抱くのは当然ですし、僕自身も僕が表現したい経緯や想いを必ずしも届ける必要はないと感じています。

ただ、僕の作品の生々しさや力強さを通じて【メッセージのやり取り】はできたかなと感じます。

アートが教えてくれる『多様性』と『This Is Me』

アート作品って、観るほうも作るほうも楽しいんですよね。

次回の記事でより詳しく『センス』『アート』といったキーワードに焦点を当てお話しする予定ですが、このアートの概念を変えてくれ、なぜアートが自分自身や価値観を知るための素晴らしい機会なのかを教えてくれた書籍があります。

それが末永幸歩氏・著書『自分だけの答えが見つかる:13歳からのアート思考』です。

ここで僕が学んだ大きな教訓、それは僕が以前まで抱いていたアートの嫌悪感を跳ね返す、大事な教えでした。

ドラマや映画にもなった長澤まさみさん主演・作品『コンフィデンスマン』をご覧になられた方はいますか?
この作品に出てくる富裕層の登場人物は、たいして自分の感想も持たずただただ値段的価値、つまり有形資産として保持するためのツールや物差しとして駆使します。

そんな感じで今まで僕はアートや芸術というと、
「○○世紀に○○さんが○○の情景を舞台に○○な芸術的手法を見出した、とても綺麗だ」
「批評家の○○さんが○○万円と評価するから良い作品」
など、富裕層の方が自慢気にステータスを表すためのツールのような気がして嫌でした
本当に美術館に行って、何か感じ取っているのかなって。

それに歴史や手法といった、作品そのものから滲み出てきている要素というより、その横にある説明書き的な情報が多すぎるし、鑑賞者はそれに左右されすぎているような気がする…。

でもこの著者がおっしゃるには

実はこのアート文化のなかで歴史上色んな分岐点が合って、現代的に言うともう“上手い”とかの評価や物差しで観なくていい。
そんなのないから。
そもそもアートの隔てなんて今更ないから、美術館にある絵画とかに限らずなんでもアートとして自分の感性で自由に楽しんで!

とのこと。

なぜこの教えが響いたかというと、僕らには介入できないような過多の情報量や物差しでがんじがらめにされた世界が、実は僕ら自身も【生まれながらに芸術家であり、表現者】ということを改めて教えてくれたからです。

だからこそアートに触れるということは(この状況で何がアートで何がアートじゃないかなんていう壁ももはやないですが)「自分はどう感じるのか」という自身の思考を再確認しながら、「こんな思考や表現もあるんだ」という多様な価値観と刺激に出会えるということです。

だからアートを知り体験することは、ただ“芸術的”になるだけではなく、人生そのものを深彫りするかのようにアイデンティティとダイバーシティ双方を知ることができます。
楽しい~、この自由の遊び場。
もうしがらみなんていらない、This Is Me

芸術家の観点から分かったアートの面白ポイント3つ

アートで磨かれるような感性というのはやはりロジックや科学・数学などと違い、言葉では表しきれない『その人らしさ』が滲み出るアイデンティティの重要な一面
だから僕はアートをもっと気軽に学び触れ体験してみようと思いました。

そこで出会ったのが、今学期履修している『彫物』という授業で、まさに教授も本当にこのアート・感性を大事にしてらっしゃる素晴らしいメンターで、刺激いっぱいの毎日を過ごせています。

ここで僕がアッサンブラージュに挑戦して気付いたことを共有します。

ポイント①:変幻自在の表現

まず【作品と想いの変化】です。

同作品ですが、いくつか写真を掲載いたします。

どうですか?
同じ作品ですが、背景や撮り方ごとに感じ方の変化はありましたか?
少なからず、僕の中では気持ちや感じ方に変化がありました。

背景が変わるだけで哀愁が増したり、はたまた木によりスポットライトが当たることで「希望」感に焦点が当たったり、フラッシュをたくことで明るい部分と暗い部分のコントラストが強調され『光と影の個性』が滲み出たり。
そんなセンスが何となく変化するんだなと感じました。

僕は音楽が大好きなのですが、皆さんRickie-Gという日本人レゲエ歌手の方をご存じですか?
僕は彼が大好きで、彼の名曲『Life Is Wonderful』というのがあるのですが、この曲実は二種類あるんですよね。

一つは『am08:59』のアルバムバージョンでアップテンポなもので、もう一つはEPで収録されたスローテンポでメローな曲調のもの。

Life is wonderful
Life is wonderful

歌詞は全く同じなのですが、本当にメロディやテンポ、楽器などが異なるだけで感じ方が全然違うし、どっちも好きなのに「今この気持ちでこの場所にいるときはアルバムバージョン聴きたい」と“受け手”も自由に遊べて聴けて楽しめるんですよね。

作品はとある経緯から出来上がったものでも、表現者が遊び心を入れてちょっと形を変えてみるだけで無限大の表現を引き出し、それを一緒に受け手が遊んで楽しめることに気付き、「アート深えよ!」ってなりましたね~(笑)。

ポイント②:The Sky’s the Limit!(空が制限である=可能性は無限大)

そして【限りは拡大である】ということ。

これどういうことかというと、僕のケースでいうとスパイクに刺すはずの手術道具がなかったことから突起物という対象を広げ、「必ずしも痛みは手術やケガそのものだけでなく、それに伴う身体的・心理的ダメージ、二次災害的なものもひっくるめて表そう」と価値観を柔軟にすることができました。

これは「手術道具がない」という限りがあったから成り立ったことであり、それに伴って「もっと面白い視点あるじゃん」という拡大や価値観との出会いに成功できたことで、アートを通じて改めて分かった柔軟性と自由の再確認ですよね。
アートを通じて、再度大事な人生・生き方の本質を知ることができました。

ポイント③:知らなかった自分のユニーク性

この発見も面白かったのですが【俺こんなこと思ってたんだ】ということですよね。

「さあ自由気ままに表現してみて、アイデア出してごらん」と教授に指示を受けた際、〈こんな道具周りにあるかな、集まるかな〉なんて考えずにまずは自分の中にあるものを表現してみました。

その下書きがこれですね:

絵を描いたり、これ作ってみたいなとアイデア出すときって夢中になって自分の世界に入り、気付いたら出来上がっていた状態に陥っていました。
結構そのケースが普通じゃないかなって思うのですが、それでも後になって
「俺こんなこと感じてたんだ、しかもこんな風に工夫して表現しようとしてたんだ、意外とクリエイティブじゃん(笑)」
なんて感じたんですよね。

アイデンティティや自己表現の再確認ってもう既に第一段階から始まっていて、それを楽しく自由気ままにできる遊び場がアートにあるとわかると、やはり芸術に触れることは「楽で伸び伸びと」哲学や自己啓発を学ぶ一環なんだなと、心底感じました。

まとめ:アートに触れる機会を増やそう!

僕が一層感じたこと、それは【このブログもまさにアートだ】ということ。

上手くもないし、アーティスティックでもないし、あるいはインスピレーショナルでもないかもしれないこのウェブサイトですが、文脈や日本語という文化を通じて僕の想いを表現し、受け手・読者の方が自由に何かを感じ取ってくれている以上、これは芸術作品です。

僕の誇りに思う、代表作です。

皆さん、僕のブログに触れ、アートを学び、自分の感性を再確認しながら育んでいらっしゃいますか?
何も難しく考えず、淡々と記事を読んでくれる、それも素晴らしい受け取り方のひとつです。

そんな自由で『自分なりの悟り』を開こうとしている皆さんと同じコミュニティを共有できているからこそ、僕はこうやって自分のセンスを磨かせていただいております

これからもアートという題に、様々な作品や観点から触れながら、ロジックやサイエンスの部分だけでなくアートや感性といった『移り変わりのない、表現できない、僕らしさ』を追求できたらなと感じております。
一緒に、アートしようぜ!!(ごめんなさい熱入りすぎてキャラ失ってた…笑)

記事を読んでくださり、にふぇーでーびる!
またやーさい!

大空にも東も西もないように、あなたの心も内側と外側で境界を設けてはいけません。

―“さとり人”代表・お釈迦様より

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