【必ず、返り咲く①】僕の脚にある“タトゥー”のお話

自己啓発
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ハイサイ、さとり世代の仲間たち!
ハイサイ、さとり世代を応援してくださっている皆さん!

混乱を招くタイトルにして申し訳ございません…。
先に申し上げますと、実際にタトゥーではありません。

この僕が呼ぶ“タトゥー”というのは【大学サッカーで怪我をした後に手術をしたメスの跡】のことです。

この記事では、僕がこの怪我をした経緯、今でも続く2年以上もの長いリハビリ生活からの苦しみや葛藤、そして最後になぜ僕がこの傷のことを“タトゥー”と呼ぶかについてお話したいと思います。

大学サッカーで、大怪我をしてしまいました

僕は大学でサッカーをしているのですが、大学1年生のシーズン終わりに大怪我をしました。

それまではルーキーながら多くの試合に先発出場させてもらい、(結果的に)チーム年間最優秀新人賞を選手・スタッフ陣投票で獲得することができました。

その順風満帆ともいえるシーズンの最後に、練習中に大怪我を負ってしまいました。
そしてシーズン2試合を残して、僕は手術をする為にチームを離脱しました。

腓骨と足首を複雑骨折し、靱帯を断裂させてしまいました。

ありがとう、仲間たち

僕はショックでしたが、そこで一つ収穫もありました。
練習後すぐに病院に駆けつけてくれたチームメイト。

そして診断までずっとそばにいてくれ、「お前今年調子よすぎたからバランス取るためにちょっとぐらい怪我しといたほうがよかったんだよ」「アメリカンパワー見たか、マイ・ジャパニーズ・ベイビー?」と笑い飛ばしてくれた親友たち。

とっても頼りになり、今でも仲良く、かけがえのない宝物です。

顔は隠しましたが、とても満面の笑みで親友と一緒に「手術とかバカげてるぜ~」とはしゃぎながら、写真を撮りました(笑)

【地獄】「理解してもらえない」4ヶ月の松葉杖生活

そこからはとてもつらかったです。
4ヶ月弱松葉杖で生活し、そこからはひたすらリハビリ生活の日々。

松葉杖生活中は<不便>でしかありませんでした。

自分だけで動ける範囲も狭まり、友達の助けを借りるばかりで、ましてや冬の米国北西地域は雪で覆われているので松葉杖では地面がツルツルしすぎて外で行動するのが不可能でした。

なので(怪我をした方の)膝を椅子に膝つきスクーターのような形で移動していました。
こんな感じです:

スクーターもスクーターで問題点がありまして、スクーターは幅をとったので場所によっては通るのに困難になり、上段に上がるのにはエレベーターが必要でエレベーターがない場所ではスクーターを持ってケンケンをして階段を上っていました

挙句の果てには、食堂など生徒が多くいる混雑した場所でスクーターをすると「なんでこんな場所でスクーターなんか使っているの、松葉杖使いなよ、邪魔だよ」と平気で言われることもあり、自分の苦しみを理解してくれないと思うと本当に悔しく悲しかったです。

【先が見えない】長すぎるリハビリ生活

「歩く」ことを忘れてしまった僕

松葉杖生活を終えても、やはり足の筋力どころか機能自体も低下しており歩くのも困難でした。

たとえ20年生きていても、歩くのに慣れていても、歩行というものをたった4ヶ月の松葉杖生活で忘れてしまっていました。
バランスが取れず体の軸が定まらない感覚で、足を引きずるという状態よりも酷く右半身麻痺のような形でした。

神経では伝達させているつもりなのに、足が思うように動けない上に負担に敏感になっている分、踏み込むだけでも痛みとストレスを感じていました。
そんな生活は約2~3週間続き、やっと足を引きずるまでの状態に達成し踏み込むが多少できるようになりました。

ただひたすら、ただひたすら基礎リハビリ

しかしそこからの生活も長く、一から走り方の練習やひたすら動きにくくなった固い足首を強引に柔らかくするリハビリ生活が始まりました。

気の遠くなるような基礎的な動きを、頭がおかしくなったかのようにひたすらに毎日やり続けました。それなのに一向に足首の状態はよくならず、自分の中で大きな葛藤が生まれました。

「もう半年だぞ、俺はいつまでこんな体でいるんだ」
「俺のライバルはあんなに成長しているのに、俺は足首を動かすことすらできない」
そんなネガティブな自己暗示が続き精神的に苦痛な日々が続きました。

シーズンまでに間に合わず、試合出場ゼロに終わった2年生

確かに徐々に足首の状態はよくなっていましたが、2年生のシーズンまでに間に合わず、シーズンの前半は自己メニューでひたすらリハビリの生活。
背番号も1年生の頃の9番から25番に変更され、回復の治り的に3年生シーズンまでも見捨てられたような気がしました。
シーズン後半は全体練習に参加し試合メンバーにも登録してもらったものの出場機会はゼロでした。

たちまち1年生の時のルーキー時代に浸る自分にすがり、情けない話、過去の事ばかり考え甘えていた時期もありました。
その情けない過去の栄光への縋りつきと同時に、僕が出場できなかったシーズンの方が好調だったことから〈僕がいないほうがチームが良くなるのではないか〉と無意味に悲観的にもなっていました。

それでも支えてくれたのは周りのチームメンバーの励ましであり、友人や家族含めた周囲にいる仲間でした。
だからこそ僕はプレーヤーとして試合復帰に向けて頑張るのではなく、チームの一員としてエールや指示を送ったり労いや感謝の言葉を言ったりすることで貢献できると思い、メンバーとしても立ち直ることができました。

【集大成間近に】コロナ禍でシーズン延期

コロナ禍で試合やチーム練習ができなくなった状況になり3月中旬に帰国し、以来ひたすら自己練習でほぼ毎日欠かさず自分と向き合い、走り込みや体幹トレーニング、そしてたまに地元の友達とロングパス(足首が痛みで思いっきりボールを蹴る事になれていなかったので)など基礎練習も重ねました。

それと同時に、今まで僕が特徴としていたプレー(例:スプリント・短距離の速さ)が脚の負担によって出来なくなったり弱くなったことを受け入れて、怪我がある状態でも認めてもらえるような特徴を見出そうとしました(例:スタミナ)

長く険しい、独りでの闘い。

僕は飛び級という都合上大学3年生で卒業するので、今シーズンが最後の年でした。
長い独りでの闘いでしたが、気持ちもコンディションもいよいよ8月のシーズン再開に整っていた中…

シーズンを2021年4月に延期するという“事実上の中止”のような決断が下りました。

(正直感染が収まっていない地域に飛び込むのは怖かったのでほっとした部分もありましたが)やはり自分なりに逆算して取り組んでいたのでショッキングな部分もありました。

この“タトゥー”こそが僕のアイデンティティ

それでも僕の脚にある“タトゥー”を見ると、僕がたどった経緯全てを思い出し、とてつもない励みになります。

僕が怪我の跡を”タトゥー”と呼ぶ理由

タトゥーには色々な起源や目的がありますが、僕が脚の傷をタトゥーと比例して強調したいのは<アイデンティティの表現>です。

例えばサモア諸島などの民族は“ルーツを忘れない”ために自分がいちコミュニティの仲間である表現として、サモア人であることの誇りとして、タトゥーを入れるそうです。

また戦争に行く兵士は、仮に戦地で(亡くなってしまって)身体的ダメージによって誰か判別しにくくなった状況を考慮して、タトゥーに“自分らしさ”を表現しすることで体のパーツを見ただけで誰かわかり、〈無事お家に体を届けられるように〉という想いでタトゥーを入れるそうです。

僕の脚の傷も僕のアイデンティティそのものだと思っていて、どんなにつらい状況でも気の遠くなるような辛い怪我人生活の日々を思い出すと、「こんなもんじゃ負けねえ」と鼓舞してくれるのです。

  • 仲間:
    「悪い事がおこったって、笑ってろよ。俺らがいるじゃないか」そんなことが言える仲間たちに出会え、貢献できるギバーを知り、〈俺もこうなる〉と人間的に向上欲が出た。
  • 寛容性:
    身障者などのマイノリティー(少数派)に優しくないコミュニティを知れたのも、僕がマイノリティーになれたから肌で感じることができたし、何かマイノリティーの為に社会に役に立ちたいと思えるきっかけになった。
  • 割りきりとひたむきさ:
    しょうがない事はしょうがない。だから今できることをひたすらやり続ける。
  • 柔軟性と閃き:
    出来なくなったプレーは出来なくなったことなので、今自分の状態でどういうプレーができ伸ばせる見込みがあるかを判断し、そこに打ち込む。
  • 客観性:
    自分がプレーできていない時でもチームに出来ることは何かを考え、プレーヤーとしてでなくてもメンバーとして貢献できるような人材になる。

これらのスキルであり財産は、僕にとってかけがえのないアイデンティとして、脚の傷として刻み込まれています。


次回の記事では番外編として、この怪我の経緯で出会った考え方や概念の中で、特に心に刺さり感銘を受け取り入れたマインドセットを少しご紹介したいと思います。

記事を読んでくださり、にふぇーでーびる!
またやーさい!

大空にも東も西もないように、あなたの心も内側と外側で境界を設けてはいけません。

―“さとり人”代表・お釈迦様より

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