【贈る言葉②】『努力家』だけが特長の男が起こす”革命”

自己啓発
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ハイサイ、さとり世代の仲間たち!
ハイサイ、さとり世代を応援してくださっている皆さん!


余談ですがジョー・バイデン氏が第46代・米国大統領として、そしてカマラ・ハリス氏が新副大統領として当選しましたね!

以前も申し上げたのですが、環境汚染、そして医療体制を考慮した上で立候補者それぞれの優先事項を確認すると、僕はやはりバイデン氏が相応しいのではないかと感じていたので嬉しい限りです。

バイデン氏、おめでとうございます!


さて今回の記事も前回に引き続き、僕は幼い頃からお世話になっているサッカーチームのK監督から頂いたお言葉についてお話させてもらっています。

その言葉こそが、【意外性を発揮する頑張り屋】というお言葉です。

ストーリー形式で、そのお言葉を頂く前・後での僕のサッカー選手としての経緯、そしてそのお言葉が僕の中でどう生きてきたかというお話をご紹介しました。
まだお読みになっていない方は是非チェックしてみてください▼

今回はこの監督がくれた“贈る言葉”に沿って、自分が“真面目で頑張るヤツ”と認めてもらい「それで生きていけ」と背中を押してくれたおかげで僕がどのような結果を生んでいけたか、についてお話させてもらいます。

記事の最後に(番外編ではありますが)、このテーマと類似した“超グッとくる”頑張り屋へのエール・名言を、とある小説の中から勝手にピックアップさせてもらいご紹介しているので、そこも是非読んで頂けたら光栄です。

【実践編】“真面目さ”だけで、『逸材』として評価されることもあります!

前回の記事でもその経緯についてお話ししましたが、少年サッカー時代に“真面目さ”だけでベンチメンバーから先発メンバーにまで這い上がれたことや、最終的に中学の終わりに国体選手候補にまで選んできただけ多ことについてお話ししました。

少し話を広げると、僕は『文武両道』において“真面目さ”だけでさらにフィードバックを得られることができました。

上手い選手じゃなくても、『良い』選手になれる

友達の母親が僕のプレーを見て

「彼のプレーを見ていると気持ちいいよね~。なんかこっちまで強くなれる気がする」

と仰ってくれたそうです。

僕のプレースタイルを見て、あまり「彼のプレーは上手」と褒めてくださる方はいません(笑)。
世紀のテクニシャン・ロナウジーニョがFCバルセロナでプレーしている姿をたまたまテレビで観て僕はサッカーを始めたのですが、彼のプレースタイルやテクニックにおいてのレベルとは天と地の差があり、ましてや同世代ともテクニックで差を広げられていきました。

だからこそ僕は言い訳することなく、選手として別の生き残り方を開拓する必要があり、少年サッカーでは恥ずかしかったですが“ガッツ”が取り柄の選手として認識されていき監督にも認められました。

確かに初めに描いていたサッカー選手像とはかけ離れてしまい理想的ではないかもしれませんが、僕なりにシフトチェンジして生き残れたという経緯と達成感は僕にとって大切なものです。

そして何より、周りのサポーター(少なからず友達の母親)を、僕のテクニックやエンターテイメント性で魅了させることはできなくても、僕の人としての泥臭さや真っすぐさが詰まった青臭い“アイデンティティ”がプレーに表すことができ、それを認めてもらい感動してくれたことは僕にとっての紛れもない【資産】です。

知的じゃなくても、『賢く』なれる

“真面目野郎”としての生き様・経緯と、結果的に得られた資産のお話はサッカーだけに該当するものではありませんでした。

事実、〈卒業するのが難しい〉と一般的に言われている米国の4年制大学で僕は現在GPAが4段階評価で3.76あり、『優秀な生徒アスリート賞』の表彰や『Honor Society(米国・優等生協会)』へも招待され、さらに飛び級という形で定年よりも1年早く卒業できる見込みです。

高校時代も4.92/5.00のGPAで優等生として卒業時に給付型奨学金を頂きました。

学業面で優秀だから偉いのだとかそういう事を言いたいのではなく、『学生としての本業が何か』という本質を見失わなかった結果として報告させてもらいました。

そしてこの結果は、大学進学のきっかけにもなった『真の文武両道』の姿を実現するという目的からブレずに、学生や選手としてやるべき事をコツコツとやり続けた結果でもあるのです。
何を隠そう、僕の中学の時の内定なんて5段階評価で3.0ちょいぐらいでした…(笑)。

そんなガキでも真面目さを取り入れたら何でもできます。
アントニオ猪木さん風に言うと「持続的努力があれば、何でもできる!」なのです。

勿論、真面目さというものは学生アスリートとしてだけでなく、基本的にどの場面においても根本的で基盤です。
このブログもその一つです。

【番外編】小説『その日の前に』が背中をさらに押してくれました

重松清氏・著書『その日の前に』という連作短編小説集を読まれた方はいらっしゃいますか?
ドラマ化・映画化もされた素晴らしい作品なのですが、小説の中のひとつに『朝日のあたる家』という短編ストーリーがあります。
その中に大好きなフレーズがあるのでご紹介します。

※そのフレーズを理解していただくため、大まかなあらすじと多少のネタバレございます。ご了承下さい。

短編『朝日のあたる家』のあらすじ

若くして旦那さんを亡くし、娘と2人で暮らしている主人公の高校教師のお話です。
いつものようにご飯を作り、娘の面倒を見ながら教師の仕事を果たす日々ですが、この主人公には毎朝ジョギングをする習慣があります。

そんな時に昔の教え子2人と再会したのですが、元教師である主人公は彼らの悪たる習慣・生活を観察し、”大人になった”生徒に数年ぶりに喝を入れます。そして教え子達は、自分達の態度を改め、悪たる習慣に終止符を打ち、生まれ変わり始める、というお話です。

【名言】『朝日のあたる家』より:「コツコツも凄いんだぞ!」

そんな教え子たちの事を思いながら、『いつものように』朝のジョギングをしている主人公の放ったフレーズがとても好きで…

まいっちゃうね、と笑ってラストスパートにかかる。
といっても、スピードはほとんど上がらない。
足もふらつき、タオルで拭いても拭いても汗は顔じゅうから噴き出してくる。

それでも、走る。
「ちっとも痩せないじゃん」と明日奈(主人公の娘)にからかわれても、走りつづける。
「あまり無理すると、肉離れとか、あと心臓とかヤバくない?」と少し心配顔で言われても、ジョギングだけは休まない。

「こんな日(教え子たちが彼女に挨拶しに家に来ている日・その朝)に走るかなー、ふつう」と明日奈にあとであきれるだろうか。
こんな日だから休みたくないんだと、いつかわかってくれるだろうか。

つづけることは…すごいんだぞ、と自分に言い聞かせた。
始めることも終えることもすごいけど、こっちだって負けてないぞ、と付け加えて、
生きてるんだから、生きてるんだから、と繰り返した。

重松清氏・著書『その日のまえに』

重松さんが伝えたい意図を少しはき違えているかもしれませんが、コツコツと毎日継続することは大きな決断を下すことと比べると確かに地味かもしれません。

でもその継続性こそが原動力や良い習慣を維持する為の最大のエネルギーであり、“本質的”であると強調したいのではと思います。

少なくとも僕にはそういう形で響きましたし、「コツコツと見えないところで継続して努力するから意外性という形で本領を発揮できるんだよ」と背中を押してくれた気がしました。
勿論、“頑張る為に”何かにとりかかるのは本末転倒ですが(それはあくまでも”暇つぶし”になります。成し遂げたいものがあるから頑張る)、やはり努力そのものを見くびらずにエネルギーを保つことには深い意味があります。

【まとめ】“コツコツ”も立派な武器で、継続力のあるひとは意外と少ない

コツコツやり続ける事って、簡単そうに見えて地味に難しいのですよね。
だからこそそこに自信をもって自分なりに味を出してみることに初めて意義として表われるのではないかと感じます。

それをどうしても自分なりに伝えたくて、単に自慢したかったのではなく、今回の記事の初めに僕の勤勉さという武器を用いて得ることができた『文武両道らしさ』をご紹介しました。
その上で、重松清さんが『その日の前に』を通してその本質的なメッセージをストーリー性を交えて伝えているかというのを、偉人たちの力をお借りして伝えたかったのです。

次回予告:『贈る言葉』シリーズ・完結編

さて次回の記事は第三部、このテーマの最終部分になります。

ざっくりご説明させていただくと、“真面目な努力家”という取り柄だけでどのような特典が一緒についてきたかをご紹介します。
わらしべ長者、的な感じですかね(笑)。

記事を読んでくださり、にふぇーでーびる!
またやーさい!

大空にも東も西もないように、あなたの心も内側と外側で境界を設けてはいけません。

―“さとり人”代表・お釈迦様より

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