【女性差別に一言②】女性を応援したいから、『主婦業』に焦点を当てる!

社会問題
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ハイサイ、さとり世代の仲間たち!
ハイサイ、さとり世代を応援してくださっている皆さん!

前回の記事では、僕が感じる僕なりの【女性問題】へのアプローチを述べたうえで、社会のプラットフォーム構築の欠如に対する疑問をご紹介しました▼

そして僕は意識改革を行うために、まずは『ミクロ的観点』に焦点を当て、もっと個々に伝わる具体的な取り組みや思考をインプットできるような社会づくりを訴えました。

今回の記事ではより具体的に述べる為、僕が感じるミクロ的視点の取り組みとして【主婦業の概念】についてお話しします。

正直言うと、主婦がやるべき仕事って感じがしてあまり“主婦業”という言い方も好きではないのですが、その概念を変える為に僕の事例や引用も交えながらお話しします。

僕がお金について勉強して視野が広がったように、人生において切っても切り離せない事柄について素直に学ぶことには意味があると感じます。
そこで誰にでも該当する『家事』という事柄について改めて考えることで、ミクロ的視点から【女性問題】を解消していく一歩になるのではないのかなと感じます。

なぜ僕が「イクメン」の概念を嫌うのか

最初に述べたいのは、まず「イクメン」という言葉がおかしいということです。

なぜ夫婦二人の子供なのに、育児をしっかりする男性だけ「イクメン」という社会的称号を得られ、育児をしっかりしている女性は「当然」になるのかが分かりません。

勿論、育児への理解を深める為にこのような“流行語”が生まれたのだとは思いますが、そもそも社会に普遍的に蔓延している【しょうもない概念】そのものを排除したくてたまりません

女性の仕事って、家事って、育児って、<当たり前だから>凄いんだぞ―。

ドラマ『逃げ恥』から学べる、”主婦業”の大変さ

この事柄をとてもうまく描写した素晴らしい作品が、ドラマ『逃げるは恥だが役に立つ』です▼

大まかなあらすじは、同じ屋根の下に住む家政婦と雇い主の恋愛ストーリーです。
しかしこのドラマはそれ以上に、新垣結衣さん演じる家政婦のみくりが“主婦業”の大変さや女性の社会的地位を、時給や労働環境、さらには労働法と比較していきながら考えていく、まさに【ミクロ的視点から考えさせられる女性問題】の作品です。

星野源さん演じる平匡さんのように、家政婦を雇って家事の労働や時間を金銭と取引するのは人それぞれの価値観なので問題ありませんが、平匡さんのような根底にある【家事の大変さの理解】があって成り立つことだと思います。

そしてその反面、女性も男性もいつだってみくりのように、『専業主婦・主夫』という職種(実際、ドラマでみくりは”家政婦”でしたが)就いて伸び伸びと仕事ができる社会や環境もオープンでなくてはいけないと思うのです。
つまり『専業主婦・主夫』も立派な仕事の一つで、社会が改めてSocio-cultural value(社会的・文化的価値)とフィットさせたうえで、専業主婦・主夫という仕事に対する認識そのものの改革が必要だと感じます。

俗にいう“主婦業”をどれだけ体験したか、そしてどれだけ理解できているか、さらにはそれを持続的に感謝し続け、より理解を含めていけるような“女性に対しての学習”を続けているかということが、まさに肝だと感じます。

女性でも、元・お母さんでも、【女性問題を無視】している実態

もう一つ例を挙げます。

僕は生粋の小説『マカン・マラン』シリーズの大ファンなのですが、第二作目である『女王さまの夜食カフェ:マカン・マランふたたび』の三話目『秋の夜長のトルコライス』よりあるシーンを抜粋してご紹介します。

小説『女王さまの夜食カフェ』で垣間見えた、母親に対する冷淡

このシーンでは、祖母・靖子が孫・圭と遊びに出かけて、その際に圭がバス内で騒いでいた様子を母・未央に“愚痴る”様子を描いています。
その時の未央の心情を上手く描写しています:

「圭君は、ちょっと落ち着いがなさすぎるんじゃないの。明るくて元気なのは結構だけど、今日もバスの中で歌いっぱなしだったんだよ」
「ああ…」未央は口ごもる。

「可愛いからいいんだけどさ。でもあの子も、もう小学生でしょう。もう少し落ち着いてもいいんじゃないのかねぇ」
「圭は早生まれだから、少し幼いところがあるのよ」

「そんな事ばかり言って甘やかしていると、今に取り返しがつかなくなるよ。ちゃんとしつけるところはしつけないと」

だったら―。
喉元まで出かかった言葉を押し戻すように、未央はアイスティーの中に浮いている氷を口の中に入れた。

だったら、その場でそう言ってくれればいいではないか。

氷をがりがりとかみ砕きながら、胸の中で呟く。
そうでないと、圭には分からないんだから。

「そういうのは、お母さんのお前からちゃんと言って聞かせないと」

どうして―?
おばあちゃんや、お父さんからだっていいではないか。

古内一絵氏・著書『女王様の夜食カフェ:マカン・マランふたたび』

このシーンから僕が感じ取ったのは、同じ女性であったり同じ“主婦業”を体験した元・母親であったりしても、自分が体験した苦労を他人が感じていた場合持続的に貢献しようとせずに冷淡になっている実態がある事でした。

つまりこの【女性問題】というのは男性だけに向けて訴えている問題ではなく、それこそ性別関係なく社会全体で個人個人考えなければならない課題だということです。

引用元:https://fit.thequint.com/fit-connect/mothers-day-working-mothers-double-burden-stress

この持続性の欠如と具体的な取り組みを行わないから、〈どの時代の女性も社会において苦しんでしまうのだろうな〉と胸が痛くなりました。

子供がひとり立ちしたら、家事や育児などを『勝手に引退』して、この物語の靖子のように『役目を終えた女性』はおもちゃのように、ただの癒しのように、育児を放棄して<孫を利用して、甘やかして>自己満足を満たそうとしている実態が、当たり前になっている現実があるのです。

物語で靖子は娘である未央に当たりが強く、”厳しく”接していました。
つまり靖子のような女性たちも、甘やかすことも、無関心であることもよくないと分かっているはずなのに―。

同棲や実家暮らしで『ミクロ的視点』から感じたこと

もう家事・育児を“主婦業”と認定し、女性がやって当然だと普遍的な価値を蔓延させるのをやめるべきなのではないかと感じます。

「お前はまだ大学生で、何が分かるんだ」という声も届いてきそうですが、実際僕も昔付き合っていた彼女と大学で帰国した夏休みの間、彼女のアパートで“同棲生活”を体験した時には役割を分担することなく、カジュアルにどっちも調理も、掃除も、洗濯も、全て“適当”に二人で行っていました。
そして今となって思うのは、それが彼女の価値観を尊重する姿勢であり、もっと言えば【女性問題】への僕なりの改革だったのではないかとつくづく感じます。

僕の家族もそこは“無意識に”徹底していて、親父は料理こそ作らないものの積極的に家事を手伝います。
僕の家族は全員に理解がわたっていて、お袋の大変さを理解しているからこそ家事は全員でやる事だと捉えています。
なんせ、お袋にも”主婦業”以外にやりたいことが沢山あるので、彼女なりの価値ある人生を送ってほしいと思うのが家族だと思います。

※余談ですが、また別の機会で『主婦業は主婦がやって当たり前』論が、如何に僕らの生活の外、たとえば沖縄の伝統や文化に根付いているかもお話ししたいと思います。

その意識と取り組みこそが、ミクロ的視点から捉える女性問題への解決策だとやはり実感します。

まとめ:まずは普遍的価値を改めて、【ゲンバ】の声を聞こう

調理は『残業帰りのクタクタ女性の仕事』という現実

最後にもう一度、古内一絵氏・著書『女王さまの夜食カフェ:マカン・マランふたたび』の第一話『蒸しケーキのトライフル』より、あるシーンを抜粋してまとめに入ります。

このシーンでは残業で仕事を終えた真奈が、夕食を調達する為にスーパーマーケットに立ち寄った時に観察した様子を描いています:

惣菜コーナーの前で逡巡していると、(真奈の上司である)美知佳くらいの年齢の女性が、三パックの餃子を無造作に買い物かごに突っ込んで足早に去っていった。

きっと、育ち盛りの子供を家で待たせているのだろう。

見回せば、八時過ぎのスーパーは、残業帰りと見られる疲れた表情の女性たちで一杯だ。
この間に買い物をしている男性の姿は、数えるほどしかいない。
共働きが当たり前の昨今でも、家内で夕飯の準備をするのは、未だに圧倒的に母親のほうらしい。

“女性の社会的活躍”なんてことを仰々しく口にする人たちは、こうした卑近な状況が見えていないに違いない。
「母親」の役割は一向に軽減されないのに、そのうえ、都合よく社会的役割を押し付けられていったら、いずれ働く女性たちは潰れてしまう

考えてみれば、そうしたことを得意げに述べているのは、閉店間際のスーパーで買い物をした事なんて一度もなさそうな、傲慢な表情の「オジサン」だった。

少なくとも、真名自身はそんなスローガンのために“活躍”させられるのは御免だった。

結局、最初に手に取った煮物のパックを買い物かごに入れ、真奈はレジに向かった。

古内一絵氏・著書『女王様の夜食カフェ:マカン・マランふたたび』

やはり【ゲンバ】を知らない、犠牲者を知らない頭でっかちの“他人”が、訳も分からずプラットフォームや普遍的価値の【カイゼン】を無視して、表面的な取り組みを行うのはどうしても僕は“罪深く”感じてしまいます。

確かに僕が取り組んでいることは、当たり前かもしれません。

引用元:https://talkingparents.com/blog/september-2018/how-chores-are-an-essential-part-of-childhood

でもその当たり前が少しでも浸透していくことに、当たり前を当たり前にしていくことに、そして何より僕自身が持続的に取り組むことに、やはり意義を感じます。

社会は結局、“個人”の集合体ですから―。

ミクロ的視点の大切さ、そして普遍的価値を把握して必要であれば“自分”が変わること、さらに自分自身に該当する身近な出来事を無視せず素直に学ぶこと、それらを通じて僕なりの女性問題への改革を述べました。

僕はフェミニストです

フェミニズム―という言葉は少々過激のように感じますし、僕も他の言い方ないのかなあなんて感じますが…僕はフェミニストです。
でもこのコンセプトって全然過激じゃなく、むしろ【当たり前】なんですよね▼

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これって本当に、まさにこのブログの軸である【本質】であると思っていて、時代によって女性の価値観やゴールが変化、あるいは多様化していく中で『従来の伝統』が変わらないのは当然おかしな話だと思います。
マクロ経済的要因を無視する会社が顧客のニーズに応えられずに潰れるのと一緒で、”社会的・文化的価値”を理解できない社会は潰れると思います。
だからこそ、社会の取り組みに加え、【概念そのもの】を変える必要があると感じるのです。

これからも身近な発見も社会的な動き・運動も両方学び続けて、女性に優しい社会をつくるのに携われたらなと思います。
また女性問題に関する題材があれば積極的にシェアしていくので、皆さんも女性問題に関する考えや取り組みがあれば、是非教えて下さい!

記事を読んでくださり、にふぇーでーびる!
またやーさい!

大空にも東も西もないように、あなたの心も内側と外側で境界を設けてはいけません。

―“さとり人”代表・お釈迦様より

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