【実は被害者①】非行少年(未成年の犯罪)は“SOS”を出している

社会問題
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偏った意見や価値観にとらわれない為、そしてトレンドを知る為に割と幅広いジャンルで書籍を読むよう心掛けているのですが、その中の一つに科学についての本も含まれています。

「この現象が起こる背景には、人間はどうしてもこういう機能が起こってしまうことが科学的根拠で証明されているから仕方ないよな。じゃあ活かすしかないじゃないか」

って腑に落ちるんですよね。
脳科学であったり、心理学であったり、社会学であったり…

今回はその中から認知科学の観点において、とある本を紹介させてください。

宮口幸治氏・著書『ケーキの切れない非行少年たち』で、僕は改めて僕たちがフォーカスするべき焦点を正し、そして彼ら少年たちも実は被害者であることを理解するべきだと感じました。

非行少年たちが日々の生活でSOSを出していることを村田沙耶香氏・著書『コンビニ人間』を通じて理解していきます。

そして最後に、薬丸岳氏・作品『友罪』で僕が感じた事を交えながら、僕らが加害者になる事だってあるんだということを認識していきます。

引用元:https://ameblo.jp/yuu03a/entry-12144864788.html

このテーマではなぜ彼ら少年たちが被害者であるかというのと、僕らがどう向き合うべきか、エキスパートではありませんが作品・書籍の力をお借りしながら解説していきます。

今回は前編として、【非行少年たちが、実は日頃からSOSを出している】現状に焦点を当てたいと思います。

マイノリティを理解することには僕らの生きる意義や価値を改めて理解できるきっかけにもなるし、社会貢献にもつながるということをこのブログで訴えてきました。

この記事を通じて、改めてご一緒に“想像力”を働かせながら、苦しんでいる人たちによりフォーカスしてBLMのような『知る運動・発信する運動』を続ければなと思っています。

『ケーキの切れない非行少年たち』:なぜ非行少年たちは被害者なのか

引用元:https://www.bookbang.jp/article/590431

宮口氏の研究結果をざっくりまとめさせていただくと、(僕の解釈では)少年たちが生まれ育った環境そのものよりも、先天的・後天的関係なく何かしらのきっかけで“歪んでしまった”彼らの認知能力社会や教育がほったらかしにしていることで、少年たちが自分を表現するための手段や方法を上手く理解することができず、未成年犯罪に手を染めてしまうという現実でした。

彼らが認知する力の弱さは実は“障害”の一種であり、それが軽度であるため周りから彼らの苦しみについて理解してもらえていないという現状。

そして周囲が、「あの子はやんちゃ」「不良」などと完結させてしまい、彼らを見放しているという事でした。

その認知能力の弱さが何年にもおよび放置されているため、当然『相手の気持ちを理解する』ということや『自分が犯した過ちを反省する』といった“当たり前のこと”が出来なくなっているという現状こそが、宮口氏が強調したかったことでした。

―彼らは、被害者だったのです。

『コンビニ人間』:非行少年たちはSOSを出している

こういう“非行少年たち”の苦しみは、僕らの生活に普遍的に存在してSOSを出しているのではないかと思いました。

僕の中でかなり衝撃を受けた小説『コンビニ人間』のストーリーの一部を抜粋してお話しします。

よくこの小説をブログで引用するのですが、その時は本で伝えていた【人間が思い込みで相手をジャッジして傷つける“罪深さ”】についてお話ししています。
今回は少し視点を変えて、“非行少年”の主人公の例をご紹介します。

引用元:https://reajoy.net/book-report/novel/105/

『コンビニ人間』の一部シーンで垣間見えた【気付いてもらえない軽度の障害】

『コンビニ人間』に出てくる主人公の女性は、昔から“常識”や“当たり前”が理解できず、度々怒られたり困惑させたりしていました。

その一例として出てきたのが、小学校で飼育していた鳥が死んだときに「焼き鳥にして食べよう」と発言させて周りを驚愕させたというものでした。

でも主人公自身は、なぜ死んだ生き物に<まだ生きている>花を殺して<死んだ鶏>に添えるのが正しいと考えている周りの子たちが理解できなかったという戸惑いを描写していました。

そしてまた別の例では喧嘩している男子を、周りの女子が泣きながら「止めてほしい」とお願いしてきたから、<一番手っ取り早い>方法を選ぶために男子をスコップで殴ったというシーンも出てきました。

宮口氏さんの主張と照らし合わせて見えた、『コンビニ人間が受けている被害』

さて、僕が宮口氏の書籍から学んだことを観点に『コンビニ人間』を読み返してみると、この主人公はただただ苦しんでいました。

自分は周囲から「危ない」「治してほしい」と思われていて、その反応は理解しているものの、自分自身をどう治療したらいいのか分からないという葛藤を描いていました。

彼女は道徳が欠如しているのではなく、〈これが世間一般で言われる“正しい”ことなのか〉という認知能力そのものが欠如していたように思えます。
図面的には彼女は“心ないことをした”加害者に見えますが、実は彼女もまたくすぶっていてSOSを彼女なりに出し続けていた【被害者】のように思えました。

そしてそれもまた、世間が「彼女は変わっている」というだけで見放し、思い込み、ジャッジし、差別していた法では罰せられない“罪深さ”なのではないかと思いました。

※『法では罰せられない“罪深さ”』というテーマにおいて、吉田修一氏・作品『悪人』でよーく学べます。
とても考えさせられる、ディスカッションとしては良い作品なので、また別の機会でお話しさせてもらいます。

次回予告:実は僕らは加害者なのか?

今回は普遍的に僕らの生活に馴染んで生活している非行少年たちが、実は彼らの“障害”が軽度が故に、日頃の生活で苦しんでいることがお分かりになったと思います。

そして彼らの『非常識』が、SOSそのものではないかと想像力を膨らませてみる大切さについても言及致しました。
次回は彼らに対し、僕らがどういう接し方をしているか、その社会の在り方についてお話しし、僕なりの非行少年たちとの向き合い方と社会の改善についてシェアしたいと思います。

記事を読んでくださり、にふぇーでーびる!
またやーさい!

大空にも東も西もないように、あなたの心も内側と外側で境界を設けてはいけません。

―“さとり人”代表・お釈迦様より

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