【どの大学に行けばいい?】進学に迷うあなたに共有したい、僕が米国大学への進学を決断したきっかけ②

進路
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今回数作にわたり、僕が今米国の某リベラルアーツの大学に進学しようと思ったきっかけと経緯を説明させていただいています。
前作と今作では、【きっかけ編】として二部に分け、僕の米国大学進学を決断することとなったきっかけをご紹介します。

進路・進学で悩まれている方がいらっしゃったら、僕の進学のきっかけを知って頂けたらなと思います。
そしてご一緒に、“行きたい環境”よりも【行きたい環境の中での自分】に焦点を当て、悩みの解決をお手伝い出来たらなと思っております。
進路・進学に悩んでいないという方も、是非ご気軽に記事を読んでいただき、そもそものきっかけのあり方や米国の学生事情などをインプットしていただけたらなと思っております。

【簡潔におさらい】進学のきっかけ①:高校米国留学で目の当たりにした『真の文武両道』

さて前作の【きっかけ編】の前編ですが、簡潔におさらいさせていただきます。

僕は高校1年生の時に米国の州立大学に1年間留学し、そこでいわゆる学校の“イケてる”グループと週末一緒に遊んでもらったりしていました。
そこで目の当たりにしたグループのメンバーが、勉強だけでも部活動だけでもなく、両方において意欲を高め優秀な成績を収め、且つ、ボランティア活動など(実際、今もその中の一人は毎年ハイチを訪れ支援活動をしているそうです)も積極的に行っていました
そういう人が評価されている文化と、目をキラキラさせて社会に貢献している彼らを見て、僕の中で体中に電流が走るかのような衝撃がありました。

そして生まれて初めて「マジで“カッコいい”、ああなりたい」と感じました。調べていくにつれ、米国の大学がその社会を作り上げているいち要素となっていることに気付き、僕も米国の大学という環境であの“カッコいい理想像”に僕はなると感じました。

これが一つ目のきっかけです。
前作を読まれていない方は、そのきっかけを感じて僕がどういう行動をしてどう感じたかなどの詳細を説明しているので、読んでいただけるとより分かっていただけると思います▼

さて今回の記事では、二つ目のきっかけとなる【高校米国留学で目の当たりにした『アウトプット社会』】について詳しく説明させていただきます!

進学のきっかけ②:高校米国留学で目の当たりにした『アウトプット社会』

二つ目のきっかけも米国の高校に一年間留学している時でした。
それはある日の昼食休憩中のカフェテリアでのことでした。

白熱!昼食時間に高校生が食堂で大統領選について激論!

僕が留学していたのは2015-16学年。
当時、オバマ前大統領が任期を終え、新しい大統領を決める直前でした。

僕はいつものように友達10名弱とカフェテリアでランチをしていたら、会話が大統領選挙の話題になり、白熱し始め、やがて討論へと変わりました
トーンや声量は荒々しいものの、相手を誹謗中傷せずに上手く議論していました。

僕はこの“アウトプット合戦”に感動し、何より、相手の立場も理解しながら「確かにそうだけど、こういう一面もあるんじゃない?」と同時に上手に情報処理してインプットしているシーンにも鳥肌が立ちました

日本では『人』を論破したがる?

今思えば、最近読んだ脳科学者・中野信子さんの『キレる!』の内容が良く分かります。
その内容が:

“論破する”という表現があります。
日本語で論破すると言うと“誰々を論破する”と、人を目的後にすることが多いのではないでしょうか。
しかし、フランス語では、この動詞は“人”を目的後に取る用法のほうが頻度が低いのだと聞いたことがあります。

あくまで“議論の対象物”を目的後として、ある問題点や疑問点についてなど“○○を論破する”という使い方をするのだとか。

脳科学者・中野信子氏

まさにその通りだと思います。

僕が当時受けた衝撃は、あれほど白熱しているのに、誰も議題の軸を『人』にすり替えることなく、徹底して議題についてお互いが最大限に協力して議題に対しての答えを導き出す
あるいは、何か自分が知らなかった側面や情報を取り入れることで知識の質を上げる為に議論する
だからこそ喧嘩にならないのだと感じました。

日本だと、よくディベートの概念をはき違えて人を罵倒したり喧嘩したりして中途半端に粗末に議論を締めくくる事が多々あるかと思います。少なからず、僕の周りはそうです…。

【本当の議論とは】僕が感じた事と決意

僕はこの留学経験でディベートの本質を知ることで、自分が文化人・いち議論者として向上しながら仲間を作りたいと感じました。
勿論、それ以外の場面でも留学中によくディベートしましたし、今の大学生活でも日常的にしています。
事実、最近で言うと大学の寮で僕の友達は猫派か犬派かで討論していました(結局それって人それぞれの好みの問題かと思いますが…笑)。

とにかく、僕はこの“健全で上手な”ディベートという環境において、議論のノウハウを学びたいと強く感じました。
且つ、彼らの様に敏感に市場にアンテナを張り、自分の感性と知識を使い、自分なりの答えを出すプロセスを習得し、いち議論者になる

そういった環境から生まれる自分自身の理想像をイメージした結果、米国の大学という道を決断したきっかけとなりました。

リベラルアーツの大学で『議論力』を鍛えようと思いました

更に言うと、僕は大学の中でもリベラルアーツの大学に進学したいと感じ始めました。
理由は大学のサイズと軸にしている事です。

リベラルアーツ系大学とは:

リベラルアーツカレッジ(Liberal Arts College)は、実用性・専門性よりも、幅広い知識や教養を身につけることに主眼が置かれ、学生への“人間教育”を重視している点が大きな特徴です。学生参加型の授業が中心で、人文・社会・自然科学や芸術など多種多様な学問に、自分の興味に合わせて自由にチャレンジすることができます。人数規模も500〜3000人程度と小規模なものが多く、規模の小ささゆえ、学生一人ひとりへのきめ細かい指導が行き届いているのも大きな特徴です。

ベネッセ (Global Learning Center)

リベラルアーツでは僕があの魅力を感じた“議論(ディベート)”が授業でよく行われるため、学びたい分野で取り入れた知識を自分の感性と交え、それを議論の中で伸び伸びと発信し、フィードバックが多角的に返ってくることに惹かれました。

そして何より、<その環境下で躊躇なく健全に議論し合える僕>という理想像が、あのカフェテリアで見た彼らの姿とその衝撃と重なり、大学でそうありたいと感じる大きなきっかけとなりました。

大統領選討論会を観ていると正直あまりにも醜く説得力に欠けているところがありますが、米国には根強いディベートに魅力があるのも確かです。
以上が二つ目のきっかけ、【高校米国留学で目の当たりにした『アウトプット社会』】となります。

『ふとした瞬間が”カッコいい”へ』ただのちょっとした出来事

前作と同じように、僕が感じたきっかけはふとした日常のふとした瞬間でした。
それが強い衝撃となり、理想像へと変わり、自分の中でうまく“行きたい環境下のなりたい自分”(勿論、ここでは『なりたい』に焦点を当てることが大事です)をイメージすることが出来ました。

結果、今の大学に進学でき、学生生活を満喫することが出来ました。

※余談ですが、やってみた結果は後からついてきます。
失敗も成功も、やってみた人にしか分かりません
まずは、まずは、なりたい自分を描き、直ぐに、直ぐに、それを実現できそうな環境を調べることです!

まとめ:【あのアインシュタインも】進路決断におけるきっかけとそれに伴う想像力の大切さ

前作の冒頭でも言いましたが、なりたい自分に焦点を当てることで、環境に全責任を委ねないことになります。
出た結果は環境の“せい”でも“おかげ”でもありません
環境に焦点を当てる人は、きつい事を言うようですが、どの環境に身を置いても結局他力本願な人になってしまいます

かつて、あの歴史的物理学者であるアルベルト・アインシュタイン氏が「想像力は知識より大切だ。知識には限界があるが、想像力は世界を包み込む」という格言を残しました。
彼のこの言葉の意図したメッセージの意味合いは少し違うと思いますが、それでも僕が言いたいのは、<想像力は最強なので、あるきっかけを駆使して自分の理想像をひらめく転機へとつなげてみる>ことです!

記事を読んでくださり、にふぇーでーびる!
またやーさい!

大空にも東も西もないように、あなたの心も内側と外側で境界を設けてはいけません。

―“さとり人”代表・お釈迦様より

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