前編:【“良いとこ取り”哲学の原点】人に危害を与えず『自分の好きなものバイキング』で生きる為のマインドセット

自己啓発
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自己紹介記事でサラッと触れたように、僕は自分の中で“良いとこ取り”マインドセットというのがあります。今回はそのマインドセットをご紹介したいと思います!
勿論、これは何かや誰かをジャッジする為の物差しでも無ければ、〈この考え方を取り入れよう〉と強要するものでもありません。

この考え方は僕なりに至ったあくまで数ある中のいち哲学なので、『エッセンシャル思考』(僕の大好きな本なので、機会があればまた記事で取り上げたいと思います)などの哲学書を読むような感じでサラッと見て頂けたらなと思っております。

結論を簡単に言うと、『良いと思ったものを取り入れる』
そんな哲学です!

そもそもの”哲学という僕なりの概念”&各々がどう捉えるべきか

哲学は毛嫌いされやすい?

ある日、僕が親父にもし悩みがあるならばと『エッセンシャル思考』を勧めた時、彼はこう言いました:

「俺は哲学なんてもう読まん。うんざりだ。大事な教訓は小説で取り入れる。」

彼の言い分も分かりますし、僕も小説特有の(僕はほっこりとした日常生活を描いた小説が好きなのですが)平穏なストーリーが故に登場人物の気持ちや言葉が読者の心を動かす体験を多数・数冊経験しました。
実際、僕の親父もお袋に「何か俺の息子(僕)に響くようなことを探して今小説探している」というようなことをサラッと言っていたのらしいですが…(笑)。

なぜ哲学は毛嫌いされやすいのか&『哲学はちょっとした○○○○!』

ごめんなさい、話がそれました。

要は、哲学めいた少し胡乱な“こてこて名言”を、本で何冊も読んで呆れた読者が僕の親父以外にも少なからずいらっしゃるのではないかと思います。
無論、僕も高校や大学で哲学に関する授業を受講したこともありますが、ジェレミ・ベンサム氏のユーティリタリアズムからジョン・ロックの経験主義まで、結局歴史的に賢者がヒントをこの世に残してくれてはいるものの、あまりにも多すぎるし極端でピンキリ!頭がプチパニック…といったことも多々あるかと。

哲学って人生を生き抜くためのヒントになるちょっとしたスパイスなはずじゃ…
そうなのです!哲学って、ちょっとしたスパイスなのです!

僕なりの哲学【“良いとこ取り”のバイキング】とは

哲学はまさにカレーを作る過程と一緒?

だから僕はそれぐらいの気持ちで、ーメリックを瓶ごとカレーのルーに入れないかのように、ちょこっとだけのスパイスを、賢者たちのアドバイスを、少しずつ多岐にわたり人生の足しにさせてもらっています。勿論、そのアドバイスを知らない事には人生の足しにしようがありません。
だから僕はその知識、いわゆるスパイスたちを知る為に、より“美味しい”人生にする為に、哲学書から目をわざわざ背ける必要はないのではないかと思います。
これはあくまで僕が個人的に感じることですが、取り入れる知識全体に納得する必要は無いと思うのです。

「本の内容の”ほんの”1割で良い」(ダジャレすみません…)

僕のお袋は本の内容の1割でも自分の中でタメになれば最高の出会いだ、と話していたことがあります。
僕は人や物事をジャッジすることをよく思いません。

ジャッジ―この言葉は僕の留学先である米国で頻繁に使われるのですが、簡単に言うと人や物を知ろうともせずに容姿やたったある瞬間だけを判断材料として真っ向からその対象物を〈○○は□□である〉と決めつける、という意味です。

だから極端にAの思想は受け入れてBのは拒絶する、というマインドセット自体がいかがなものかと感じるのです。
本全体としては評価しづらいものでも、その中で好きな言葉だけを素直に取り入れる。

その自分なりの好きな【モノ】で構成されたバイキングを楽しめばいいのではないかな、と感じるのです。
これが、僕なりの哲学なのです。
※余談なのですが、このA/B極端論への疑問は留学先である米国でも感じた経験あるので(リベラルvsコンサーバティブ)、それもまた近日記事にて投稿します。

哲学の押し付け合いと自分だけ哲学

哲学を押し付けた結果(中東の事例)

当然ですが、僕は全てにおいてですが、特に思想・政治・哲学・宗教を人に押し付けると争いが起きることを知っています。
だからそういった強要や勧誘は一切しませんし、なるべく圧力的にならないように慎重にトークしたいと思います。

いわゆる価値観の押し付け合いによって争いが起きる例として印象に残っているのは〈中東ってどうして紛争が絶えないのだろう〉と疑問を感じ『世界一わかりやすい中東の説明書:世界が危惧する“火薬庫のいま”を知る!』を読んだ時です。

分かりやすくも生々しく丁寧に記された現状に対し抱いたその時の感情、人々が陰謀や派閥に欲まみれになりオイルマネーの奪い合いや宗教の派閥を押し付け合いに心苦しくなったあの感情が、今でも胸に焼きついています。

割り切る哲学を教えてくれた『嫌われる勇気』

僕の良いとこ取り哲学バイキングの中でもメイン料理にあたる教えが、『嫌われる勇気』で紹介された【たとえ親子でも他人。自分の課題はあくまで自分の課題であり、他人の課題も他人の課題であるので、そこを混合してはならない論】です。
宗教やコミュニティも大事ですが、結局は”自分という単体”が寄り添ってできるのが社会
自分の哲学が相手に通じない、そういう事があるからこそ悩みが生まれ、強要し合い、やがて争いが生まれる。

なので、僕は僕なりに人に危害を当てない程度に良いと思ったものを素直に取り入れて、こういう形でアウトプットし、誰かのスパイスになればなぐらいな気持ちで僕の頭や心の中身を見せたいなと思っています。

今少しお話しさせて頂いたこの2冊に直接的な接点はありませんが、社会学的観点から見ると実に反比例した考え方があり、楽しい考察が出来るかと思います。

まとめ・僕の持論の実用性&後編の予告

結論、僕は僕っていう理念が根強くあり、歴史上の賢者たちのアドバイスを片っ端から表面的にジャッジして無視することはせず、断片的にでも良いものは良いと自分だけに落とし込むのが僕の哲学です。

こういう【“良いとこ取り”のバイキング】を実践してみると、社会学的における他社との線引きにも役立つかなと思います。
事実、僕も人に不快を与える様な強要や勧誘とみなされても仕方ない様な話題や話し方をしないようにより心掛けるようになりました。

次回の記事では、この【“良いとこ取り”のバイキング】を与えてくれたとあるきっかけについてお話しさせていただきます。

記事を読んでくださり、にふぇーでーびる!
またやーさい!

大空にも東も西もないように、あなたの心も内側と外側で境界を設けてはいけません。

―“さとり人”代表・お釈迦様より

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